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日月神示 赤玉白玉 読解

http://oonotomoyuki.chicappa.jp/newpageakatamasirotama.htm

昨年にて富士の仕組は終り(1999年に富士の仕組み終了)、鳴門の仕組に入るぞ、琵琶湖は鳴門の仕組の型示しでるぞ。(鳴門の仕組みとは陰)
心してかかれ。鳴門とは渦海(渦のマーク)のことじゃ。
渦海にて大きく動くぞ。この現象界では、大切な御用なれど、渦に呑まれてしまうなよ。
鳴門の仕組とはこの現象界を動かす原動力となるぞ。その始めが琵琶湖からじゃ。
富士と鳴門は、二つでひとつじゃ。(陰と陽)先ず富士がありて鳴門が動くぞ。

この仕組によりて普段、目にしなかったことが、目につくようになるぞ。
腹が坐っておらぬと右往左往するぞ。心してかかれよ。神が始めに導き、人が後に付いてまいるぞ。
この仕組は、神人ともに働く大きな意味での型示しであるぞ。

琵琶湖は様々な意味合いあるなれど、この働きは神でないと分からん。人は後になって分かる仕組なれば、神が良きように使って見せるぞ。
水は流れる如しというように高きから低きに流れるぞ。また逆もあるぞ。水の流れる如く心を流してはならんなり。
真中(まなか)大切じゃなあ。真中が神じゃ。(そういえばUFOと麻で有名な中山さんに取り憑いてる知的生命体の名前もマナカ)

真中がわからないと水の如く流れるぞ。(美鈴先生が流されないように津波が起きたと言っていた)
富士の仕組は真中出しじゃ。真中が出て始めて渦芽が動くぞ。猿田彦殿と、天之宇豆女殿であるぞ。
心してかかれよ。この仕組言うてはならんし。言わねばならん。神と人も同じであるぞ。

平成の御世はここに来たりて、始めて日の目を見るぞ。(まだ本当の意味で平成ではなかった)恵比寿・大黒の働きじゃなあ。

神が表に出ると言うても直接には分からん。言葉でとるよりも心でとりてくだされよ。心は九九路じゃ。九九理(ククリ)の道じゃ。竹で表しておるぞ。一つの大きな節目でもあるぞ。ココロしてとりて下されよ。 (平成12年1月9日)

※ 真中(まなか)とは三種の神器で言うところの勾玉に当たり、他の言葉で言えば「中心の光」とか「聖なる光」とか呼ばれているものである。これにより我々一人ひとりが神の分け御魂をもらっていることでもあり、一人ひとりが神の分け御魂をもらっていることでもあり、一人ひとりが神であることの証でもある。一二三でいうところの「二」の座を指す。それに対して「一」と「三」は相対の働きを意味する。絶対と相対の違いでもある。
(鏡が陰で剣が陽で勾玉が真中。一が陰で二が真中で三が陽? 三位一体、太陽と月と地球)

神が表に現れるぞ。神が表に現れるぞ。よいか、覚悟をしておけ。神が表に現れたらどうなるのかとくと見ておけ。神の力を見せてやるときがきた。神人共にあらわれてこの世の立て替え建て直しをいたすぞよ。この神の力をとくと見ておけ。世の中ぐらんと引っ繰り返るぞ。この神の力でないと何もできん。
今までの神の力とはケタ違いの大きさであるぞよ。よいか、覚悟をしておけ。神の力の神の力を見せてやる時がきた。 (平成12年1月13日)

大神の 大御ハタラキに 感謝して 明けて日の出の 光となれよ (1月21日)

感謝が感謝を産む。これが世界平和の意乗り。価値観が一八十閉めの元となっている。
赤玉は愛、白玉は力である。ようよう九九(ここ)までたどり着いた。長い旅であった。
全てが蘇る。力は力として、愛は愛としてその本来の姿を輝きだす。全てはこの中にあり、それが現実界の中で動いているのである。

現象も必然、必然であると分かるとそこに、価値判断、二元の価値判断が無くなってくる。
恐怖と安心が力と愛によみ返り、本来の姿に戻ってくる。ここにおいて本来持っている力が発揮されることとなる。○○○も本来の姿に戻りその力を十全に発揮する。これが全てがよみ返る元である。
キリストもこれによって自らがよみ返る。キリストの復活とはこのことであり外にも型として出した。
自分が自分としてよみ返るのと同じである。ただ、今の中にいれば良い。
すべて四(次元)で作られしものがこの三(次元)に変っているのである。
四次元で作られしものが明らかになることが(四三)返りでもある。
また三次元で出たものがそれで価値判断を作って又、四次元に返っていく。すなわち価値判断が千引の岩戸でもある。
このようにして全てが相互関係で動いているのであり、これもカルマという。このカルマ(法則)は誰が作ったものでもない。自らが作ったものである。この法則を使って神が神であることを体験していくのである。
神が神を産んでさらに新しい神を創り出す。この様にして創造は無限に続くのである。神が神としての力を無限に発揮する為にはこの法則=二十○二(フトマニ)を使うのである。
このようにして無限に続く創造は愛と力によって裏打ちされている。この愛と力とは法則という動き、働きを使って、また自らが創造に加わるのである。
この様にして全てが大いなる循環の中で動いており、それも自らが自らを産んで行く創造の過程となる。創造が創造を産み、更に又、その創造を産んでいく。これも神が神たらしめる力である。
神がこの肉体を使って明らかにするのは初めてではない。神は常にそうであったし、そうであるし、そうであり続ける。今の中に全てがあり、それ以外には無い。神が表に現れるということはこのことを指す。これは誰でもそうであり、本来の姿である。左に隠しておいたのは、神であり、神が外にあるのではなく、全てこの肉体に隠れているのである。神が見たいのなら自分の左をみよ。これが隠してある神である。隠してあるというのは一番身近に隠しているのであり、外にさがしても無い。神が表に出ること、右、すなわち三次元世界が又、よみ返るのである。
全てが一番近い所に隠してあるのが見えないか。(全ては型示しとして、示されている)これが見えないと神は見えない明きめくらぞ。

この様なものは昔から神界の仕組の中で仕組まれておる。よみ返ってきたか。力が力としてよみ返り、愛が愛としてよみ返らなければ本当の力と愛とはならない。この者を使って神が神としてよみ返り、表に現れている。神の力と愛とは、一人ひとりの内にひそんでいる、蛇が龍に変るぞ。一人一人の神はこの様にして肉体を使って現れるようになっている。少しはよみ返ったか。
神仕組は、外にあるものではなく、全て己が内にある。己は巳(蛇)であり、力の元となっておるぞ。この力を使うことにより、巳(み)が龍となるのであるぞ。全ての源がここにある。
蛇を封印したのはそなた達であるぞ。これが蛇が龍となり、全てがよみ返ってくる。
神が神として解き放たれる時であるぞ。神の仕組は仕組として受け取れ。素直が一等だぞ。
素直にまさる力はない。これにより愛が生まれるぞ。力は源と申したであろう。男は力の象徴としてある。女は愛の象徴としてある。歌が産田としてよみ返る。神(田)産む力である。
神が神としてよみ返るこれ程嬉しいことはない。神が待ち望んだことである。

出産の喜び。女でしか分からないであろう。男は力と申してあるが女は全てを産みだす元である。
愛が根底に流れているぞ。光、全てを産み出されて光が聖なる光となってこの地にふりそそぐ。
光が光として本来の力を発揮する光であるぞ。神がよみ返る。音と光となって。全てがよみ返る。
神が神としての誕生である。神が神としてよみ返らなければ、神としての力が発揮しない。
岩戸閉めは自分であるぞ。全ては自分の中にある。何を選択しても良いというのは違う。全ては初めから決まっておる。神が神としてよみ返ると全てが分かる。
形が形として留まらなくなるのは、よみ返る力が無いからだ。神が神としてよみ返るのはかくの如くである。
全て神が神としてのよみ返り=誕生を待ち望んでおる。全てが仕組の中であり、この仕組から出ることは出来ない。歌は祝いの産田(ウタ)じゃ。出産祝いの産田だ。分かりたか。大いなる御力はこれじゃ。

左は月読命が日を受けて、日月の神としてお出ましであるぞ。出産はかくの如く痛みを伴うものである。日月の神がこの地にお出ましとなり、日月地の神として働くぞ。この者の肉体を使って全てを型でみせるぞ。神喜びがどんなものかとくと見るが良い。

出産の喜びは女に与えてある。片方の働きであるぞ。男は添う力であるぞ。これで一つじゃ。
女が男になろうとしてもなれぬ。男が女になろうとしてもなれぬ。全ては神仕組の内にあり、伝えおくぞ。全てが神としてのよみ返りの道具であり、道具が働くゆえんだ。
左に全てが隠してある。片親がないというのは型示しじゃ。両親があって子供はすくすく育つ。子供は親の喜びであるぞ。岩戸の外に出ると、神と神・人の関係もそうであることが分かるぞ。天津国津というのは仮型の呼び名であるぞ。本来はヒツグとミツグである。ヒ(火)とミ(水)で神じゃ(4月29日)

京都伏見の御香宮で水を頂く。「元ツ御親の真姿がここにある」とのこと。この水の中に全てがよみ返る力がある。元つ御親の中にあって全てがよみ返る。この水によって、神が神としてよみ返り、全てがよみ返る元がある。これが元ツマコトの真姿であり、これ以外にはない。
これにより全てがよみ返る元となるのである。神が神として蘇る、これ程嬉しいことはない。
全てが蘇る元となる。物は物として蘇り、光は光として蘇るのである。蘇生とはかくの如くであり、元つ御親の力によらねば蘇ることはない。
人間の手で何が出来たか考えてみるがよい。全てあべこべ、頭が引っ繰り返っているであろう。これが型示し。
(女が社会で働き男が家にいるのは間違っている)

元のキを受けて蘇るのである。全てに感謝をささげねば力が力としてよみ返らないのであるぞ。愛が愛としてよみ返らないのであるぞ。分かりたか。
水は万物の源という。この源より発したエネルギーは全てのよみ返りの元となり、それが又、全ての創造の中にあって循環していく。これが本来の姿であり、又、源でもある。
言葉が言葉としてよみ返り、蘇生していくのである。蘇生した言葉はさらに新しく生まれ変り、本来の姿に戻っていく。これも循環の一つであるぞ。神が神として蘇らなければこの力は発揮せん。
新たな創造の過程として生まれ変わった言葉は、言霊として鳴り響き、この宇宙に十満する。これが言霊の威力であるぞ。
数霊も同様であるぞ。大いなる御力に裏打ちされたものでなければ、その威力が発揮せん。全てがそうであるから神が神としての働きを十全に全うする源が九九にある。 (4月30日)
ヒツグは愛、赤玉に象徴されるぞ。ミツグは力、白玉に象徴されるぞ。愛が縦で力は横に働くぞ。赤玉と白玉、これが龍宮の乙姫様が持っている本来の姿じゃ。本来の姿に戻らなければその力は発揮せん。
これが蘇らなければその力は発揮せん道理分かるであろう。
愛に力が添わなければ愛は滅びる。力も同様ぞ。大いなる御力はこれが統合された姿である。
それが大いなる愛、大愛に象徴されるぞ。それに大いなる御力が添い、これが無限に続くぞ。一八十の外に出れば分かる。今はただ九の力を受け取ればよい。元ッ御親の姿が写るぞ。(5月1日)

一四一四(イヨイヨ)富士と鳴門の仕組が終ったら、甲斐の仕組に入るぞ。甲斐の仕組に入りたらもの言えん様になるぞ。これはどうしたことかとビックリ箱が開くのぞ。この蓋を開けることが尾張の仕組ぞ。分からなければこの方に聞け。みな教えてやるぞ。
自分が自分がと思うているうちは岩戸は開けん。素直が一等ざぞ。よく聞けよ。この神でないと何も分からん。人間の算盤で何ができたか。みな出来損ないばかり。
九分九厘で引っ繰り返るぞ。全てこの神がさせていること、よく肝に命じておけ。
甲斐の仕組に入りたら、人との繋がり大事にしておけ。人と人分けるのは岩戸閉める元となっているぞ。この仕組、今年中にけりをつけるぞ。(2000年中に甲斐の仕組みが終わる予定だった?)

それが済みたら夜が明けるぞ。岩戸開きの幕開けじゃ。この仕組、実地に入りたら口開いてポカンじゃ。肚座ってないと気の毒ぞ。外が外がの方向、内が内がじゃ。高天原に神鎮まりますじゃ。分かりたか。



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まさに必要な時期になってから日月神示の続きが示されたものだと思います。
明らかにこの神示は西洋の宗教には無い重要な概念を含んでいます。
西洋の宗教が長年否定し続けたものの中にこそ、真実があるのだと私は思います。

「陰と陽の型示し」そのとおり、世界はこんなにわざとらしくあからさまに「示されて」いるのに、誰も気づかない。


あと、興味深い記事見つけた。
http://mujaki666.seesaa.net/article/167807836.html

これは2010年の記事か。

深見さんの本は読んだけれども、これは違うだろうと思わざるを得ない部分多かったのが正直なところ。
電車広告で写真を見るたびに胡散臭い人だなあwとは思ってたw
霊能者には違いないのだろうが。

しかしこの中で気になったのは
「このままいくと、五月中旬に箱根の神山と富士山が爆発し、首都機能が5年間ストップし、日本経済が破綻する」


の一文である。

たとえ胡散臭い宗教や人間でも神の御用をすることもある‥
神は宗教や人に拘らず、使える人間は全て使う方針なのかもしれない。

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プロフィール

「シンクロニシティ(共時性)」「陰と陽(二元論)」「フラクタル(大=小)」が私の人生のテーマです。 Synchronicity (synchronicity)" "Yin and yang (dualism)" "Fractal (large = small)" is the theme of my life.

運命は存在するか?

Author:運命は存在するか?

備えあれば憂い半減。

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